1975年船のアトリエ IYENA                SHIRO丸とTARO丸

船のアトリエイエナ

 

1970年代中頃に、横浜JR石川町駅前の運河に浮かんでいた、船のアトリエIYENA(イエナ)私(下の写真左)は当時16歳の頃に、メンバーと共同生活をしながら1年半ほど所属していました。主宰者は写真中央の真田氏、船のイエナが浮かんでいた所は、都市の隙間にあった異次元空間的な隠れた場所でした。ある時期からSシロー丸は喫茶船、タロー丸はギャラリーとして使っていました。訪れて来る人々は僅か3メートル程の桟橋を渡ってくると、俗世間から遠く離れて、しまったかの様に純粋に様々な議論を毎夜交わしていました。真田氏は当時、汚れてしまっていた川に人を入れ、近づけて川が身近になって関心を持つ人達が増えていけば、川も少しづつでもきれいに変わっていくだろうと、又都市のデットスペースになってしまっている場所を、活気のあるアートスペースとコミュニティーの場として提案しようとしていました。かつては横浜の港で活躍していた木造ダルマ船や、沖で働く人たちを運んでいた通船が不要となり、運河に係留されたままになっていました。朽ちかけている船達をギャラリー船、アーティストのアトリエ船、コミュニティ船、演劇シアター船などに造り変え、運河のある都市の、横浜らしい、ユニークな運河の中のアート村を造りたかったのでした。結局は、近くに、安易にまねをし、商売だけをやりだした船が出て来てしてしまい、地元の商店街で、その船が問題になり出した時点で、真田さんは、自分たちが活動していた趣旨の声明文を貼りだし、その後、我々はイエナの船を撤去して運河での活動は終焉してしまいました。